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札幌高等裁判所 昭和55年(行コ)2号 判決

控訴人(第一審原告)

谷崎シズ

右訴訟代理人

松田武

武田誠章

被控訴人(第一審被告)

札幌労働基準監督署長

白井啓介

右指定代理人

金田茂

外三名

主文

原判決を取消す。

被控訴人が控訴人に対し昭和四七年一二月一九日付でなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償費を支給しない旨の処分を取消す。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因一及び二の事実並びに右敗血症が本件カルブンケルに起因して発生したものであることは当事者間に争いがない。

二〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

1  亡鉄夫は、本件負傷直後札幌市豊平区内の博愛病院において応急処置を受け、同日同市中央区内の中村脳神経外科病院(以下中村病院という。)に転送されたもので、転送までに一〇回程の嘔吐があり、中村病院入院の際は、左眼瞼が腫脹してチアノーゼを呈していたこと、左前頭部も腫脹し、口内及び鼻から出血があり、上口唇部も腫脹してチアノーゼを呈していたこと、また頭痛、嘔気、嘔吐があつたが意識は明瞭という状態であつた。

2  亡鉄夫は、入院当初は濃厚治療室において点滴を受けるなどの治療を受け、五日目位のころ重患室に移されたが、同年六月中旬ころまでは頭痛、嘔気、嘔吐があつて、食欲不振、全身倦怠状態が続き、傾眠傾向にあつた。

3  亡鉄夫は、同年六月七日に本態性高血圧症と診断され、同日からその治療を受け、さらに、同月一五日に上口唇腫脹部の切開手術を受けた後、徐々に食事を摂るようになつたものの、入院後ほゞ平熱で推移してきた体温が、そのころから七月初旬ころまでは摂氏三七度台が続き、熱感、全身倦怠感を訴え発汗することが多くなつたうえ、脳挫傷に伴う意欲の低下減退状況を呈し、食欲不振を訴えていた。

4  亡鉄夫は、同年七月六日症状が軽快したとして、従来の重患室から軽患室に移され、同月八日から点滴を受け、そのころから体温は三六度台に下降し安定するようになつたが、同月一四日急性肝炎を併発したとして前日までの全粥食を同日から肝臓食に切替えられ、引続き前同様の点滴を継続して受けていた。

5  亡鉄夫は、そのころから体に痒みを訴えるようになり、自ら掻いたり、控訴人に掻かせたりしていた。そのうち、右臀部座骨付近に粟粒ほどの赤い発疹が生じ、これが次第に大きくなり痛むようになつたので七月三〇日診察を受けたところカルブンケルと診断され、同病院から交付された軟膏を塗布していたが、好転しないまま発熱症状を呈するに至つたため八月五日赤川医師の執刀による切開手術を受け、同月九日ころには発熱も治まり、落着いた症状となつた。

6  亡鉄夫の血液理化学的検査の成績は、入院直後の五月二六日にはGO―Tは六〇単位、六月二日一七四、同月七日一三五、同月一一日七六、同月二一日三九、同月二八日一五四、七月八日三四五と高値を示していたが、急性肝炎につき治療を受けて同月二六日以後は正常値(四〇単位以下)を示している。またGP―Tは、六月七日三三、同月二八日一六五、七月八日二七〇と高値を示したほかは、八回の検査はいずれも正常値(三〇単位以下)を示していた。

7  亡鉄夫の尿糖定性検査の成績は、六月二日に疑陽性と判定されたほかは、七回の検査はいずれも陰性と判定された。

以上の各事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

三1  〈証拠〉によると、亡鉄夫は五月二六日朝食から流動食を、同月二八日昼食から五分粥食を、六月三日昼食から全粥食を、また七月一四日から肝臓食をそれぞれ供されていたが、前記認定のとおり頭痛、嘔気、意欲減退等のため、急性肝炎についての治療が効を奏するまでは充分に食事を摂取できず、また摂取しても嘔吐することが多かつたことが認められる。

原審証人赤川清介の証言中この認定に反する部分は、推測に基づくものであるうえ、看護記録中の六月二〇日及び二一日の部分に殊更食事を摂取した旨の記録があること(乙第一二号証)、六月二九日から七月二六日までの間に便通のあつたのは一一日間のみであつたこと(乙第一五、第一六号証)、前記認定のとおりその当時亡鉄夫は熱感があり全身倦怠感のある状態が続いていたことを考慮すると、これを採用することができない。

2  前記各認定事実を総合すると、本件カルブンケル発生の時期と推定される昭和四六年七月下旬ころには、亡鉄夫は、全身的に相当程度衰弱していたものと推認できる。この認定に反する乙第一九号証、第二七号証は、亡鉄夫の衰弱状態については前顕乙第一三号証、第一六号証、赤川証言に基づいているが、右の点についての赤川証言は前記のとおり採用できないし、乙第一三号証中に七月一六日から八月三日までの間の記録のないことについては、前記認定のとおり七月三〇日に本件カルブンケルについての診察を受けていて、同日から八月三日まで体温が三七度台で推移していたこと(乙第一六、第一七号証)を考慮すると、病院内部における何らかの事情によるものであるとも推認されるのであつて、この記録の存在しないことから直ちに亡鉄夫の症状が著しく軽快となつていたとは認められないから、したがつて、乙第一九号証、第二七号証中の、この点に関する記載は、これを採用することはできない。

四そこで、本件カルブンケルの発生についてみるに、その発生の部位には前記のとおり本件交通事故による傷害が存しなかつたのであるから、右事故と直接の因果関係の存在しないことは明らかである。

しかしながら、前記二・三に認定した事実及び当審鑑定人籏野倫の鑑定の結果を総合すると、亡鉄夫は、本件受傷に伴う長期療養が全身的な消耗状態を惹起し、極めて易感染性の状態となつて本件カルブンケルを誘発し、その結果敗血症を併発死亡するに至つたものと推認され、一般に、疾患に罹り、臥床状態にあるときには、疾患自体の影響、食欲不振等により、健康時に比して心身に種々の衰弱をきたし、殊に長期臥床並びに全身衰弱状態においては皮膚感染症を惹起し易いことは公知の事実であり、したがつて、亡鉄夫は、右感染症の重篤な一態様であるカルブンケルに罹患するに至つたものというべく、本件受傷と右カルブンケルの発生との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。この点につき乙第一九号証中には、「カルブンケルを必然的に併発するがごとき全身的要因としての栄養不良状態ないし免疫低下状態にあつたかどうかは疑わしい。」(乙第二七号証も同旨)旨の記載があるが、右書証中の亡鉄夫の衰弱状態についての判断は、前記のとおり採用できず、また原因と結果との間に存在すべき関係は「相当因果関係」の存在をもつて足りるものであつて、「必然的」に発生することは要しないものであるから、カルブンケルが稀にしか発症しない皮膚感染症であるからといつて右認定と矛盾するものではないし、また右証拠も「衰弱状態があつて、身体の清拭などが不十分であり、局所皮膚を清潔に保つことができなかつたため、局所的要因が作用してカルブンケル発症の素地を形成した可能性は否定できない。」としているのであつて、前記認定に反するものではない。

また右書証は、本件カルブンケルの発生とその当時存在していた急性肝炎との間に因果関係がある旨を推測しているが、前記のとおり亡鉄夫の衰弱状態及び易感染性との間に相当因果関係の存在が認められるので、肝炎の存否は本件の結論に影響を及ぼすものではない(もつとも、亡鉄夫が急性肝炎と診断され、その治療を受けていたことは前記認定のとおりであつて、急性肝炎の初期に顕著に上昇するGP―Tの数値(この点は当裁判所に顕著である。)は、六月二八日の検査までは、五回の検査の結果がいずれも正常値の範囲内にあつたことを考慮すると、本件受傷による入院を契機に発生したものと考えるのが相当であつて、しかも全証拠によるもその直接の原因は明らかでない。)。

なお、全証拠によるも亡鉄夫が糖尿病に罹患していたものと認めるには足りない。

五そうすると、亡鉄夫の死亡は業務上の事由に基づくものというほかはないから、被控訴人は、本件各傷病が亡鉄夫の死亡に及ぼした寄与度に応じて遺族補償費を支給すべきものであると認められるから、被控訴人が控訴人に対し昭和四七年一二月一九日付でなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償費を支給しない旨の処分は失当であり、この処分を相当として控訴人の本訴請求を棄却した原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条によりこれを取り消して右請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(瀧田薫 吉本俊雄 和田丈夫)

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